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詩を2篇
 わらい 金子みすゞ

それはきれいな薔薇いろで、
芥子(けし)つぶよりかちいさくて、
こぼれて土に落ちたとき、
ぱっと花火がはじけるように、
おおきな花がひらくのよ。

もしも泪がこぼれるように、
こんな笑いがこぼれたら、
どんなに、どんなに、きれいでしょう。


肝に銘じておかなければ、と思います


 うた六首 高村光太郎

ひとむきにむしゃぶりつきて為事(しごと)する
われをさびしと思ふな智恵子

気ちがひといふおどろしき言葉もて
人は智恵子をよばむとすなり

いちめんに松の花粉は浜をとび
智恵子は尾長のともがらとなる

わが為事(しごと)いのちかたむけて成るきはを
智恵子は知りき知りていたきみ

この家に智恵子の息吹みちてのこり
ひとりめつぶる吾をいねしめず

光太郎智恵子はたぐひなき夢を
きづきてむかし此所に住みじき


この六首にもりこまれていることが
生きていくうえで最低限必要なことを考えるヒントであるような、
なのにそれはなんだか身を切るようにせつないことのような。
魅惑的で、なまなましい感じがします
# by oharamaya | 2008-08-07 16:37 | すてきな言葉にであったら
どうもすみませんでした
どうもすみませんでした _d0082787_16135425.jpg







ってなにがなんだか。
わかります ?
ねこです

謝っているのではなくて、
おなかを毛づくろいするときこうするとらくなのだそうです
なんてものぐさ ! わたしに似たな。

だけどごはんをあげる前
「はい、ちゃんこしてー」と言うと、
ちゃんとお座りします
なんてちゃっかりもののゲンキンな子! わたしに似たな。
# by oharamaya | 2008-08-07 16:20 | ネコ
だれかたすけて
北鎌倉の、森が食べ尽くされる

横須賀線のくだりに乗って、大船駅を過ぎると
進行方向にむかって左側に突然あらわれる、いとおしくささやかな、
むかし水によって削られた崖と野性的な緑
右側には、空になじむ山の緑
暑い時期の夜なんかは、電飾にかこまれぎんぎんの冷房のきいている場所から帰ってくると、ひんやりとした土と葉っぱを揺らす微風がありがたくて、
エアコンの暖房につかれはてて帰ってくる冬は、あたりまえの寒さに背筋をはりつめて、家路をいそぐことで身体を暖める
そんな、頭よりもさきに身体がほっとする場所が、お金でやりとりされていくようだ
お金は汚いものとした江戸っ子の感覚も
四季にあわせて人がうごく日本人の感覚さえも
なくしていまだ、アメリカごっこ
心やさしい日本人の、そのやさしい心根が、
目にみえない悪い気流に流されていく

わたしのまわりには、何よりも大切にしなければいけないものをちゃんとわかっている人がたくさんいるのに
それよりもずっと大きな数の、目にみえない悪い気流をあやつったりそれに乗るが勝ちだと思う人々がいることは間違いなくて
ただ胸をつまらせて悪口を言う以外に
やれることがあったら、だれかおしえてください
# by oharamaya | 2008-08-05 10:23 | 生活
あなたの記憶はだれの記憶
だいすきな大平一枝さんの、連載記事を読んで、まえに読んだ夢野久作の「ドグラ・マグラ」を思い出した

遺伝子が知っている記憶、
つまり思い出せることだけではなくて、記録されていることがらという意味の記憶というのは
「わたし」がいままで生きてきた 二十数年間ぶんだけにとどまらないものであって、
それはどうしてかというと
この「わたし」をつくっている遺伝子はもちろん父母からもらったもので、
父母もそれぞれに、それぞれの父母からその遺伝子をもらって来ていて、
そのまた父母もそれぞれに…、といった具合に、脈々とはるか昔から遺伝子はつながってきているので、
たとえば祖先に外国の方がいればほんのすこしは情報があるかもしれないし
(異国のある風景になんだかひかれるなあとか)、
江戸時代、戦国時代、縄文時代、ヒトになるより前の姿のものも、あるかもしれない
じゃあはじめはどこから、という話はさておき。
体に宿っている霊魂の話も、さておき。

数代さかのぼっても日本人、という日本人であれば、
ふるきよき日本を遺伝子がしっかり記憶していてもおかしくはありません
あ、これは、あのときの。
という確固たるものがなくったって、なんだか懐かしいなあとか
落ち着くなあとかいう感覚は、遺伝子が文字通り「身体でおぼえて」いるものであると、「ドグラ・マグラ」を読んで以降のわたしは確信しています

わたしの身体のどこかにくみこまれている遺伝子さんが、なにかの折にふと、おもてにでてきて「この匂い、たしかに存じておりまする」とか言ったりするのかと思うとおもしろくてたまりません

そんなことを軸にして考えると、
わたしが命をつぎにつないでいくときのために、いろいろいいことを蓄えていかなければいけないのだなあと、背筋がしゃんとします
極端な話
もしひとを殺したりしたら、その殺したときの感覚をうまれてくるこどもも「おぼえて」いるのです
罪をつぐなったらそれでよいかといわれると、そうではない
そればっかりは、霊魂至上になってしまうことは無責任だと思います
結局、罪をつぐなったあと浄化されるのは自分だけということになって、
記憶をもった遺伝子は、次の世代以降も生きているのです
親をえらんでうまれてこれないこどもにしたら、そんな記憶を背負わされていい迷惑でしょう

話ははじめに戻って、
大平さんの書く記事には、そういう「ドグラ・マグラ」的な説明はいっさいないのに、まるでそれを前提としているかのような、ふるきよき文化や習慣をいつくしんでつないでいこうとする思いがすけてみえるのです
こういうの、ただの懐古主義だという人
あなたの記憶は、いったいだれの記憶ですか
# by oharamaya | 2008-08-03 10:36 | 生活
そのきもちわかります
ねこだってあついんでしょうね

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# by oharamaya | 2008-07-27 15:14 | 生活